【THE CHANGING.Project】
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AUNのプロフィール&ミッション



From:AUN
いつものスタバより、、、

どうも、AUNです。

いきなりですが、質問です。


あなたは『自由』になりたいですか?


……こういう質問をするとほぼ100%の人が

「はい、もちろんです。」

と答えます。

ひねくれた人は、
とりあえず否定したりなんかしますが、

でも本気で

「私は自由なんて要りません。束縛された人生を望んでいます。不自由こそが我が望みです」

こんな風に思っている人はいないと思います。

少なくとも僕は出会ったことがありません。

本音では皆「自由」になりたいに決まってます。

質問を変えます。


「自由」って何ですか?


大半の人は、答えに詰まってしまうと思います。

「自由」という言葉自体抽象的だからです。

人それぞれ、色んな解釈があります。


「まあこんなもんだろう」


という意識の中で、曖昧で混沌とした
世界の中で、人はコミュニケーションを
取り合っているのです。


……という話を今日はしたいわけではなくて。

抽象的な概念である「自由」について、
一つ僕なりの定義を示したいと思います。

何をもって「自由」というのか、と。


先ずは、以下の文章を読んでみてください。

これは、僕が敬愛するメンターが、
随分前の講演会で配布していた資料の
中の一部抜粋したもので、

物事の本質を語っているものです。

本当は「自由とは?」以外にも
いくつもあるのですが、
今日のテーマは「自由」ということ
なので、そこの部分だけ抜粋してます。

少し長いですが、読み応えのある
内容なので、必ず全部に目を通してください。


======================================

―自由とは?


人が一番苦しい事、それは何もない事。

刺激がない事ほど苦しいものはない。

何もない苦痛に耐えられるのは、
壁に向かってひたすら座り続けて悟りを
開いたダルマのような一種の変人くらいだ。

凡人の脳には、常に刺激が必要なのだ。

「快楽の刺激が欲しい」

というのは誰でも実感している事だが、

「痛みや苦痛も、何もない苦しさに
比べれば、快楽の一種だ」

という事を実感している人は少ない。

苦痛も刺激のひとつなのだ。


「自由が欲しい」

若い頃は得てして簡単に口にする言葉だ。

「校則が自由をなくしている。
校則さえなければ、自由だ。
学校さえなければ自由だ」

しかし、本当に校則がなくなったり、
学校がなったりすると、苦しくてたまらない。

ここは、軍国主義日本ではなく、
すでに平和になった自由の国日本だから、
その程度の束縛を取り除いてしまうと、
本当に何もなくなってしまうのだ。

高校を中退して、高校へ行っている事、
学生という身分によって自分の存在位置を
確認できる事の重要性に初めて気付く。


「束縛するものがあるから自由がない」

わけではない。

人が自由を感じるためには、
束縛するものは必要なのだ。

普通の人ほど、自由を感じるため、
計るための「束縛」という基準に
なるものが必要なのだ。

逆に言えば、校則違反がなくならない
のはそこに快感があるからだ。

自由を感じるために、
わざわざ校則違反をするわけである。

校則の価値に大きな不満がある
わけではなく、ただ単に、
校則を破るという快感を求めているだけなのだ。


束縛するものがない事は苦しいことなのだ。

引きこもりのように、
束縛するものが極度に減ってくると
、苦しくてたまらない。

束縛という、苦しさを計るための
基準すらもない、捉えどころのない
苦しさが、苦しいのだ。

何もない事の苦しさだ。

校則、会いたくもない嫌な奴、会社…

こういった自分を束縛しようと
するものがあると、苦痛の対象がはっきりしている。

学校が悪い、親が悪い、友達が悪い、会社が悪い…

これらは、苦痛をぶつける対象物が
あるから、まだ楽なのである。

引きこもりのような、
学校も会社もなければ、
嫌な奴(人間関係)もない。

こうなると、ぶつける先は

「世間が悪い」

という「存在しない抽象的な概念」
に対してしか、ぶつけようがなくなってくる。

物ではない、人間の脳みそが作りだす
「世間」という概念にぶつけたところで、
ストレスは開放されない。

嫌な奴や学校は、ぶつければ何か
反応があるが、多くの人間が概念
として共有しているだけの元々
物体としては何もないものにぶつけても、
当然、何の反応もない。


最後には反応欲しさに、

「幸せそうな奴を誰でもいいから殺したかった」

と束縛の中で生きている人間には
意味不明の殺人をやってのけたりする。

概念は反応を返さないが、
殺人は存在するものへのアクションだから、
反応が返ってきてストレス解消になるわけだ。

犯人にとっては意味があるわけである。

束縛が嫌なのは誰でも同じだ。

しかし、その束縛するものがなくなるのは
、もっと不快なものなのだ。

「有る」ものを維持するのは楽だが、
失くしたものを取り戻すのは大変な事だ。

失った束縛を取り戻すのは大変な事なのだ。

出来る事なら、失くす前に気づくべきだ。

束縛とは、「束縛という基準」を
自分に与えてくれるもので、必要なものなのである。

その束縛が自分に不必要なものなら、
その束縛の存在自体を失くそうとするのではなく、
束縛を飛び越えることである。

飛び越えた後、その束縛を眺めると、
自由を実感できるのだ。

======================================


読みました?

OKです。


ここでは要するに、

『自由とは、束縛がない事ではない。
自由とは、存在する束縛の外へ飛び出す事である』

と説いていると思います。


「束縛があるからこそ、
そこから抜け出したときの
快感や快楽が存在しうるのだ」

ということを言っているわけです。


このメッセージを踏まえた上で
「自由」という概念を定義すると、


何かしらの束縛から解放されたときの快感が『自由』

だということが言えそうですね。

僕はそう思っています。


んで、一体何が言いたいのかというと、
僕は、こうして僕のメッセージを
受け取ってくれているあなたに、

『自由になること』

を提案しているのだということです。


別に、自分の変え方とか
コミュニケーションの仕方とか、
人間関係の構築法とか、
ビジネスとか、恋愛とか、

そういう個別具体的なことを
教えたいというわけではなく、
“自由になること”を提案したいのです。


普段から色んな人と直接
やり取りをする中で強く思うんです。

みんな、なんだかんだ自由を求めているんだな、と。


そして、

ああ、俺のメッセージは、
とどのつまりは自由になることを
提案しているんだな

と気付くんです。


と言ってもね、

離婚して家庭の束縛から抜け出そうとか、
会社をやめて起業せよとか、
一人の女性に縛られるなとか、

そんな表面的なことが言いたいわけではありません。


当たり前ですが、

自由になる、
自由の形、

というのは、人それぞれ違います。


例えば、一人の女性を愛し続ける
環境の中で自由を見いだせる人もいれば、
組織の中にいて自由を見いだせる人もいます。

僕なんかここ数年はすごく忙しくて
自分の時間はあまりないのですが、
自分至上最高と言っていいほどの
自由を実感しているわけです。


これは僕独自の「自由」の定義ですが、


「生きたい自分の人生を生きる」という”責任感”の中で、心の声に従って、やりたいことを思いきりエンジョイできている

自分なりに、自由というものの
本質にだいぶ迫っているんじゃないかと
思っています。


自由とは、「束縛」あってのもの、
だと言っていますね。

何がしかの束縛がなければ、
そもそも自由を感じることができないんだ、と。


「束縛」と一口に言っても、
色んなケースや捉え方があるので
一意には言えませんが、

これを「責任」という言葉に置き換えると、
だいぶ理解が拓けてくるような気がします。


会社員として、組織のルールや
シガラミの中で生きることを
自分の責任と捉えられるならば、

その中で自分にできること、
自分にしかできないことを見つけて、
思いっきりやること。

これが組織に属する人間の
「自由」なんじゃないでしょうか。


他の女性に目もくれず、
一人の女性を、
一つの家庭を愛し抜き、

強固な居場所を築くことを
自分の責任と捉えられるなら、
その中で自分のやりたいことを思いっきりやる。


自分が納得できる環境を作るということです。


何度も言うように、

誰にも認められていないのに
組織から抜け出したり、

目の前の女性も満足させて
あげられないのに他の女性に
走ったりすることが、

束縛から抜け出し、
自由を実感する手段ではない、ということです。

「じゃあすべての束縛を受け入れる必要があるのか?」

という誤解をされると嫌なのですが、

「受け入れるべき」束縛

と、

「受け入れる必要のない」束縛

を判断するための材料があればいいと思います。


それが

“そこに責任感があるかどうか”

という話になってくるのです。


あなたが被らなくてもいいような束縛。

つまりそこに責任が伴わない束縛は、
どうにかして排除していくべきだと思います。

じゃないと、
がんじがらめになってしまって、
前に進めないどころか、
その場から動けなくなってしまいます。


組織の中でよくある光景で、

一人の仕事がデキる人間に
仕事が一点集中してしまっている、
ということがあると思います。

これは、僕自身も経験があるので
凄くよくわかるのですが、
すべて自分のやるべきことだと
思い込んでいるわけですね。

それで「忙しい、忙しい」と
半分鬱っぽくなっていたりするのです。


まあ、そういうことです。


ともあれ、


「生きたい自分の人生を生きる」

という”責任感”の中で、

心の声に従って、

やりたいことを思いきり

エンジョイできている

これを体現できるようになるには、

自分の可能性に気づき、
その可能性を広げていく。

これが何より重要なんじゃないかと思うわけです。


だからこそ、

人間関係を学ぶし、
コミュニケーションを学ぶし、
恋愛を学ぶし、
ビジネスを学ぶ。

色んな分野を色んな角度から学び、
自分自身の可能性を立体的にしていくのです。


全ては、束縛の外を飛び出し、自由になるために。


中には、沢山の女性に囲まれる
経験をすることで、自分の可能性に
気付ける人もいるかもしれない。

中には、お金を沢山稼ぐ
経験をすることで、自分の可能性に
気付ける人もいるかもしれない。

沢山の人から尊敬されて、
認められて、憧れられる経験を積む
ことで、自分の可能性を大きく
広げられる人もいるかもしれない。


極論かもしれませんが、

たとえば恋愛、
たとえばビジネス
たとえば人間そのもの

これらを学ぶのはすべて、自由になるためです。


今から言うことを、
今後の一つの人生の方針として、
心に留めておいてください。


本当の自由を手に入れるために

『今ココ』を頑張ろう。


おそらく今のあなたよりは、
自由な人生をエンジョイしている
(であろう)僕のメッセージや
ライフスタイルに少しでも共感し、
そして憧れを抱いてくれて、

最終的には、
僕と近い場所で共に人生を歩んでいく。

そんな仲間にお互いなれたなら、
これほど嬉しい事はありません。


では今日はこれで。

ありがとうございました(^ー゜)

ARIGATO!☆AUN


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